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友人が今年に入ってから2回、日本に来ている。
1回目は、仕事。 2回目は、結婚式。 めまぐるしくヨーロッパを走り回る友人は、日本でも、走り回っていたようだ。 来るメールは、「今、大分。明日、長崎に行ってから東京に戻る。」といったもの。 日本の企業や政府とのやりとりをする友人ならではのフットワークの軽さににやけてしまう。 そんな友人とは2000年にリトアニアで知り合った。 仲良くなったのは、インターネットカフェの場所を教えたことから。当時、それほど見つからない上に、、安くない時期だったため、探しているという話から、私が、声をかけて教えた。 それが、前の会社時代に1回、会社を辞めた後に1回、私が、ヨーロッパみ移住した際に、泊めてもらって1回、スロバキアでカンファレンスがあるということで、偶然チェコにいた私が会いに行き1回、今年は2回も会っている。 もう8年の付き合いだ。 毎回会うと、チョコか、ビールをもらう。 そう、友人はベルギーから来るのだ。 今日は、久々に会ってつくづく思った。日本という国について。 今日は、お酒をいただいたので、もう気力がないのだが、とてもいい再会だった。 ヨーロッパで仕事をしないかと、誘われて少し心が揺らいだ夜だった。 ■
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by mir2004jp
| 2008-10-25 23:52
| Myself
モンゴルは実は寒い。ただその寒いモンゴルにも夏はある。
そう、2000年の夏に私はモンゴルを訪ねました。 実際に滞在した場所は国内の電力消費のほぼ3分の1をしめるウランバートルと近くにある草原の中のテレルジのみ。 そもそも草原の中にゲル(移動式住居)があるだけの場所は町や村というよりも、一時的な居住地域のようにしかみえない。町の名前というよりも場所の名前という印象だ。 夏の時期は草原には青々とした草木が生い茂り、馬を駆るデール(モンゴルの衣装)を着た勇ましい兄さんたちも見かける。 私は、ウランバートルで宿泊したイドレ・ゲストハウスの寄せ集めツアーで計3人のゲル宿泊ツアーに来ていた。車では、ひたすらジンギスカンの曲がこだまし、みんなでサビだけ歌いながらうきうきわくわくの草原ツアーとなった。 ぼろいイドレさんの車からは、誰にも聞こえない大声の「♪ジン、ジン、ジンギスカ~ン♪」などと聞こえていたのだろう。そして、どういうわけだか、シャナイア・トゥエインの「You're Still The One」も流れていた。草原にはちょっと似合いすぎる選曲に見えた。 たどり着いたテレルジの宿泊場所は当然ゲルだったのだが、如何せん中は居住空間とはお世辞にも言えないものだった。そこに、ツアーに組み込まれていると思われる近所のお宅への表敬訪問をした。そこは間違いなく、テレビでみていたモンゴルっぽい家。 「なにがでてくるのか?」 期待は高まるところに予想通りの馬乳酒(アイラク)が出てくる。これは、おそらく今まで飲んだ酒の中で一番酸っぱい味だったとおもう。一杯でもういっぱいとはこのことだ。 ただ、この一杯がその後、私の体に思わぬ異変をもたらした。 翌朝、トイレなどない草原で自分の目を疑った。 糞が白かったのだ。小さいころ、学校帰りに犬の糞の白いものを見て不思議に思っていたことがここで、再び蘇えってきた。 白い糞はその後、黄色いっぽい色に変色した。 たった一日でなぜ白い糞になったのだろうか? 今回添付の写真はテレルジにいた女の子と私の馬を駆る姿です。以前添付したような・・・ ![]() ![]() ■
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by mir2004jp
| 2008-10-25 12:50
| Asia
先日、ある旅のイベントに誘われて1999年のアジア横断をした際に出会った旅人と9年ぶりの再会をした。そして、今の旅と、私たちの出会ったころの旅について話をした。
その人は私と同じくサラリーマンをしている。 旅をしていたころは、ちょっとした有名人で会ったことがなくとも、その名は知られている人だった。 私は彼とイランで出会い、その後、9年の時を経て東京で再会をした。 旅人の情報ノートが世界中の日本人宿で作成されはじめ(過去にもあったが、より広範囲にわたった)、インターネットを利用した友人とのコンタクトができるようになった旅が行えるようになったころ、それが1990年代の終わりだった。 そして、この1998年から2000年の間に東ヨーロッパの国々は日本への門戸を開き初めていた。 98年8月にチェコ、99年2月にポーランド、2000年にはブルガリア(何月かを失念)と東ヨーロッパはヴィザを必要としなくなりつつあったこの時期は、ヨーロッパの暗い闇のあった社会主義国への冒険の色が見えた。 多くの旅人は未開の場所(いわゆる、他の人が知らない場所)に憧れをいだくもので、この時期は、その思いと、物価の安さに貧乏や好奇心のたくましい旅人が東ヨーロッパに向かった。 私もその中の一人で、99年1月の冬、ユーゴスラビアの地に降り立って後、東ヨーロッパにかかわるようになった。 1999年7月、私はアジア横断をするために日本を発った。そして、アジア横断を決行した。その際に会う人、会う人に東ヨーロッパを薦めた。その言葉を元にアジア横断をトルコで終わらせることなく、もう少し行ってみるという人が増えたと信じている。情報ノートのある日本人宿の情報ノートには私が書いた、セルビアのベオグラードの地図があったはずだ。(当時、日本のガイドブックも含め、他の国が出しているガイドブックにもベオグラードの情報など大してなかった。日本のガイドに至っては地図もなかった。) こういうことが、私の旅の原動力でもあった。 おそらく、他の旅人にしても同じだったと思う。 情報は、自分の足で見つけるか、友人からのメールや、話から知る。そういったことが当たり前の旅だった。 ヨーロッパでは、飛行機も簡単にチケットを買えるほど、たくさんの路線があったわけではなかった。ユーロラインバスで4万円で二ヶ月のチケット(現在は大変高いため、寧ろ飛行機の方がよいようだが。)を片手に、夜行バスで時刻表を片手に行き先のパズルゲームをしていた。 今の旅はどうだろうか? アフリカでさえ、情報が多くなっている。ただ、ここは、いまだに旅をするには地図があるだけでなんとかならない場所ではあるが、今は苦労のひとつもしないで旅が可能だ。言葉が、食が、宿が、そういったことを言う方もいるだろうが、そういうものが旅なのだから、最低限、自分のいる場所さえわかれば、なんとかなるものだということを前提として考えてほしい。 ■今の旅 1.地図はある。 2.物価がわかる。(通貨も為替もわかる。) 3.宿の情報がある。(宿代はどこも高くなった。) 4.政治情勢がわかる。 5.交通網がある。(交通費は高くなった。) 6.連絡手段がある。(ネット利用料は安くなった。) これらのうち、少なくとも、20世紀末の旅では、国によっては、ほとんどつかめるものがない国もあった。アフリカに至っては、冒険以上のなにものでもなかった。東ヨーロッパだって、暗い歴史を抱えているということと、日本ではソビエトの影響を理由によいイメージがなかった。 そんな中の旅はより面白かった。今の旅はインターネットがどこでもつながるし、日本語が読めなければ、読めるようにして情報を拾うことだってできる。要は、私は冒険や発見をしたかったのだと思う。 あのころは、面白かった。なにもかにも、自分で探すことができた。インターネットで調べるということは、段取り好きの日本人にとっては当たり前のことかもしれないが、当時の旅は、本当に非日常の驚きと刺激がかなり効いていた。 ほんの少し、みなと違うことをしてきたつもり。でも、今は、それは当たり前の世の中になったのならば、少しまた違うことをしようと思う。 それが、未来の旅だと思っているから。 ■
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by mir2004jp
| 2008-10-12 17:45
| What I think about
実は、先月、一級小型船舶免許を取得しました。
今日、免許証が届きました。 なんだかうれしいです。 ■
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by mir2004jp
| 2008-10-05 23:00
| Myself
都民の日ということで、上野動物園が無料で入園できました。
甥っ子は初めての動物園ということで一緒に行ってきました。 動物園に行ったのは2004年のメキシコへの旅行後に、友達の女の子と一緒に行って以来でした。 今回は、残念なことにパンダが、レッサーパンダしかいませんでしたが、それでも、甥っ子はいろいろな動物に興味津々だったようです。 正確には、動物園の中では常にだっこでした。 動物がこわかったようです。 そのせいか、途中、動物が見えない「いそっぷばし」のあたりは一人で走っていました。。。 ほとんどだっこか肩車ということで私がバテました。 早めに眠ります。 ■
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by mir2004jp
| 2008-10-01 22:41
| Japan
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Memo
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