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雨上がりのたそがれ時

降りしきる雨の後にやってきた虫はまだ成虫ではないのかもしれない。
雄か雌かなどどうでもよいのです。
ただそこに今後を期待させるなにかがあれば。

ドゴンにきた時の私の心はモプティのマリ人によって不機嫌なものとなっておりました。
そして、行く気もなかったドゴンの村へのトレッキング。
たくさんの人とぶつかりました。
ぶつかって出た回答は、行かなくていいのではというもの。
ドゴンの民の宇宙観に私は魅了されていなかった。
シリウスBを知っていただとかいうことは、私にとってどうでもよい。
彼らがここに訪れた人々によって得た情報という線が強すぎるから。
信じること。
これは大事。でも、偏執狂学者がもう少し過去の過ちを認識することができていれば。
権威主義の中ではこのドゴンは興味深いとしても信用に値しないもの。
それでよいのだとおもう。
浪漫は主観的であって客観的ではない。
旅人は浪漫を追い求め、老いの中で過ちを笑って思い出す。
これが旅の醍醐味であり、柔軟な人らの特権なのかもしれない。
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Dogon Sight
by mir2004jp | 2006-10-29 15:02 | What I think about
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