Silent Survivor(サイレント・サバイバー)

私にとってもぴったりの言葉です。
私のことをよく知っている人は、絶対に嘘だと思うでしょう。

でも、旅行中の私は、きわめて「サイレント・サバイバー」なのです。

なんだか、そういったことをしていた日々を思い出します。

細かい話はそのうち書きます。
西アフリカの話が、まさにそれにあたると思います。
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# by mir2004jp | 2009-04-23 22:29 | What I think about

104.ATMの場所をきかれて(ウガンダ)

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ウガンダのカンパラ。
アフリカの少し奥に入った場所にある国。ブガンダ語が国の言葉。公用語は英語。
食べ物はバナナやウガリが主食で、おかずは肉や魚(ヴィクトリア湖のティラピアやナイルパーチなど)。

ウガンダに入ったころ、私はエチオピア、ケニア、マダガスカルを抜けてきたこともあり、アフリカでのある程度の行動パターンと自衛能力はついていた。こういうと格好よく聞こえるが、正確には、もう何もかもが仕方ないで割り切れるようになってきたというべきだろうか。人間的向上心の退行が明確に表層に露見してきたといったところだ。
それも、ケニアのナイロビでの出来事が起因している。腹立ち大国の名をほしいままにした国を出た私は多くのことに頑張らなくなっていた。
そんな中、ウガンダは民族性も同じということで拍車をかけてくれた。

細かい話は今後に回すとして、タイトルの内容はこうだ。

ウガンダのカンパラに着いた日、私と友人(マダガスカルの友)と部屋をシェアしていると女の子がノックしてきた。日本人の大学生。

一人旅だとか。

私は自分の親友、彼女、奥さん、家族(女)がそういうことをしようとしたら、ついていくか、パートナーがいるかを確認して判断する。私が心配性なのもあるが、やはり女性がアフリカを一人で旅をするというのは、それだけの力量がいると思っている。男でも相当タフなのだから。

そんな女の子がノックして聞いてきた。
「ATMの場所知っていますか?」
到着したての旅行者に聞くことか?と耳を疑った。

友人のカップルが先に到着していたため、場所を聞けたからよかったものの、旅なれたわけでもない子が、「ただアフリカに行ってみたくてきました。」というのには驚いたのだが、日本人なら安心とばかりに部屋にノックするのはいかがかと。お互い助け合うのが旅行では当たり前だが、旅行業界の功罪をここに見た気がした。女性が強くなり、一人で海外に出ても大丈夫というのを喧伝するのを見るが、女性はやはりか弱いのだ。取材とは全然違うものだということをわかってもらう必要があると思う。何もひどい目に合っていない女性は、気が付かずに注意をしていることがあったりするものだが、その女の子は、はっきり言ってあぶなっかしかった。

女の子のその後はあまりにもひどい。

帰国の飛行機に乗り遅れた。
(私は飛行場へのバスについてバス停に行って説明までしたのに。)
タンザニアにいた私にヘルプの連絡がきた。
内容は、日本行きのチケットの金額が足らないなら、ロンドンで仕事をして貯めてから帰ろうかというもの。
(詳細は説明したものの、私が金を貸すからタンザニアのダルエスサラームに来いと伝えた(彼女はナイロビにいたため)。)
結局、ナイロビから帰国できたようだが、ウガンダでは野宿もしたようだ。
しかも、大学生連にも連絡(飛行機乗り遅れについて)をしていて、帰国後のそれっきりにしたようだ。
私には帰国の連絡がきていたため、みなは安堵したのだが。。。

旅行中、一人旅の女の子を見ると、当時のことを思い出すことがある。
私は女の子に弱い。
文句を言いながら助けている・・・

私の友人たちもみなそうだ。自分の大切な人でもないのに。

どこでどう掛け違いをしてしまったのかわからないボタンのようなものだ。
自立したい女性は頼るのは嫌いなのだろうか。助けられるのを嫌がる。
結局、だれかがいつも助けてくれるというわけではないのに。

こうして頑張らないはずの私を奮い立たせてしまった彼女はある意味、いい風を吹かせてくれたのかもしれない。私は女性がさらに苦手になったが。

女性、男性にかかわらず、旅に対しての考え方が昔より甘くなってきていると思う。
行きたいところにいくのはいい、でも、事件や事故、取り返しのつかない出来事に結びつく要素は日本より多いことを念頭において計画を最低限してほしいものだと思っている。また、旅は道連れとは言っても、自分の都合のよいようにことは進まないことを考えてほしいと思った。

今日の私はなんだか変なのでここまで。
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# by mir2004jp | 2009-04-18 11:55 | Africa

実は5周年

このブログ。
先日の4月7日で、5周年でした。

もちろん、世界一周をしている間に一時休止をしていたので単純に5周年とは言えないのかもしれないですが。

長い長い時間も積み上げてみてわかることは、1日も5年も結論が同じであれば、1日ですべてが結実できていればよかったのにと思う。

初めの段階でコンセプトとコンテンツを取り決めておけばと。。。

当初、仲良くさせていただいた方々は、多くの方が引越しをしている。
もちろん、私も一時的に引越しをしたが、戻ってきた。

エキサイトブログが気に入っているというわけではない。
ただ、もらったコメントを無くすことができない。
私のために多くの方が時間をさいて記述されたコメントは残しておきたい。

だから、このブログは死なないです。

でも、新しいものを始めます。
少なくとも、旅のコンテンツ100数十については引越しを考えています。

そのときには、よろしくお願いします。
早ければ、GWに動きを見せます。
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# by mir2004jp | 2009-04-12 21:10 | What I think about

無風が刻む心象の彼方

たまに何もかもが動きをとめる瞬間を感じることがある。

自分の感情だけが動きをもち、その瞬間まで動きのあったものたちすべてが動きを止める。
よくスポーツをしていたときに見ていた景色。
バスケットボールをしているとき、目の前に数秒間、道が見える感じ。
サッカーをしているときゴールする道がみる感じ。

アドレナリンがどんどん湧き上がる瞬間がきたのかもしれない。
なんだか、こういう感じが好きな私は、たまにアドレナリンをふつふつとさせる瞬間に快感を感じる。

旅でこういう瞬間はたまに来る。
だから旅に行ってしまうのかもしれない。
何もかもが止まるだけではない、自分自身が1秒間に10秒くらいの時間を使っている感じ。

最近、自分でそういう瞬間を作ることができないだけにとても寂しい。
ヨットでも、レーシングカートでもその瞬間がまだやってこない。

まだ道のりは険しい。その先に何があるのか。とても知りたい。
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# by mir2004jp | 2009-04-10 00:01 | What I think about

77.杉原千畝(リトアニア、イスラエル)

杉原千畝を知っている人はどれだけいるのだろうか?
私はこの人の名前と些細な振る舞いを知っているだけに過ぎない。

彼のことを詳しく知りたい方は、「六千人の命のビザ」を読んでみてください。

第二次世界大戦時、ロシアの領事館(現在のリトアニアのカウナス)に駐在していた杉原氏はユダヤ人に対して日本へ逃れるためのビザを休むことなく発給しました。そして、日本で免職されました。

以前アップしたものを以下にリンクします。

00シャウレイ・ヴィリニュス 十字架の丘と杉原千畝
エルサレム 杉原千畝を知っている

私のブログで「杉原千畝」で検索したら、下記も出てきました。
Hotel Rwanda
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# by mir2004jp | 2009-04-05 10:02 | Europe