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そう、ノートPCはやはりこの会社のを買ってしまうんだな~

ノートパソコン買いました。悩みました。この会社のPCはなかなか安いのがない。
でも、性能、キーピッチ、すべてにおいてこの会社を超えるPCにはいまだに出会っていない。

私のPC遍歴を振り返った。

一代目はデスクトップ。96年のこと。その後、マザーボードを変えたり、ハードディスクを増強したりといじった記憶が懐かしい。
二代目はノートPC(ダイナブックVシリーズ)。02年(?)だったような。旅に出るのと、一代目が存命だったため、姉にプレゼントしました。昨年まで現役でした。
三代目はノートPC「東芝 Dynabook SS S8/210LNLN」。04年。旅にも持っていきました。液晶の電極が異常をきたし、現在、左1cmの液晶が見えなくなりました。このPCは思いいれもあるが、本当に大好きだっただけに、すごく哀しい。
性能は今でも十分なだけに、先日1万円くらいでジャンク屋で見かけたこともあり、中古でもいいから、部品を交換して利用しようか検討中。

四代目は、「東芝 NetBook NB100 N270」。ミニPC。いよいよここまできました。
画面がどんどん小さくなっていきます。私はPCでは、メールと情報収集、家計簿、資料管理程度で、メディア系のことはしないので、9インチくらいのが持ち運びが便利でよいのです。金額も3万ちょっと。助かります。

しかしなが、12インチのこのPCがあまりにもしっくりきているだけに、少しさびしさは感じます。
やはり、明日にでも、会社帰りにジャンクPCを秋葉原にでも見に行きましょうか。
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by mir2004jp | 2009-03-30 13:29 | Myself

71.パラサイト(トルコ)

1998年の夏。トルコのアナトリア高原、カッパドキアに私はいた。
カッパドキアとは「美しい馬の地」というペルシャ語から来ているそうだ。
このカッパドキアは奇岩がたくさんあり、ギョレメからは、ウチヒサル、ウフララ渓谷、カイマクル、デリンクユといった拠点を中心に景観と地下都市を観光する。とにかく観光にくる人が多い。
そもそもは、キリスト教徒が迫害から逃げ延びた場所として、岩窟教会などを作っている。そのため。フレスコ画(漆喰を塗り、渇ききらないうちに画をかくもの)などもある。当然、迫害から逃れるためにいろいろな仕掛けもある。ここでは、ワインのつくられた形跡まであったというから、どれだけ敬虔なのだか。

概要はこの辺までとして、パラサイトについて。

カッパドキアにはたくさんの旅行者がくる。
お金を使わないで安く、たくさんの場所を旅している人のうちには、意外と面白い話をきけることが多い。
今回は、人から聞いた話。印象に残っているので書く。

カッパドキアで「パラサイト!」と叫びながら、薬局を次々回っている日本人がいる。
そんな話を食事中にされた。
話はこうだ。
貧乏な旅をしていると、どうしてもパンやバター、肉が多くなり、野菜が取れない。
だから、グルジアを旅していた人が、かの地で生野菜を頼んだ。
その後、どういうわけだか、下痢が多い。他の人が寄生虫に悩まされたという話を聞かされた彼は、もしかしたら、寄生虫では?と思い、このカッパドキアで急いで寄生虫下しの薬を探しているというものだった。

日本でもあまり聞くことのない寄生虫、英語でなんというのだろうか?
「パラサイト」

この言葉を知った彼は必死になって薬を探したそうだ。
その後のことは知らない。でも、このパラサイト騒動はその後、海外で生野菜を食べる度に思い出す。
そして、寄生虫事件は、私は未だあったことがないが、どういうわけだか、友人は何人かあっている。
何の縁があったのかわからないが、目黒寄生虫館にも行った。旅行でこんなことを気にして旅するのは、アフリカ、南米くらいだが、アジアでも一応、ある。そして、実はヨーロッパにはかなりすごいダニもいる。
私が宿泊していた宿は以下の写真のところ、まだ営業しているんだろう。
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by mir2004jp | 2009-03-28 08:22 | Asia

そう、時が経てば

多くの記憶がたまに決壊するかのようにあふれ出てくることがある。

今日、その日がやってきた。
そういう日はどんなにがんばっても眠れない。

多くの知識がたまに鉄砲水がごとく流れ込んでくることがある。

昨日、その日がやってきた。
そういう日は恐ろしく甘いものがほしくなる。

多くの音がたまに耳の全面に注ぎ込まれることがある。

おととい、その日がやってきた。
そういう日は恐ろしく鼓動が早くなる。

私のバイオリズムが信じがたいほど狂っている。
それは恐ろしいくらい私らしい。
この心拍の不整はときに、私になにかを与えてくれる。

意外と今の私は旅を始めたころのような新鮮な気分の中に漂っているように思う。
久しく感じていないこの感慨はなんだのだろう。

たぶん。明日、また明日という私はそこにはもうなく、もう明日になってしまうというもの。
この時間を失うのが耐え難い拷問と感じ、月の満ち欠けを残酷な仕打ちに感じている。

桎梏の日々は再び始まり、深い深い奥底にある心象に溶け込んでいく。
この繰り返しの中で今、私は力強い呼吸をしようと思っている。

得ることのできない日がいつくるか、そんなことはわからない。
でも、いずれそういった日がくる。

そう、時が経てば・・・
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by mir2004jp | 2009-03-25 23:59 | What I think about

32.乳もんでふられる?(ユーゴスラヴィア)

2005年の2月のそれはそれは寒いユーゴスラヴィアのベオグラードに降り立った。
昔泊まった宿は泊まれなくなっているか、金額が高くなっていた。

ちなみに昔泊まった宿は、カンプ・コシュトゥニャーク、フラッシュ・ドラガンに連れて行ってもらった宿、クルストとアナの愛の巣、ノビ・ベオグラードのストゥーデントスキーグラッド、日本人の友人宅、TOPLICEという3星の宿。意外といろいろ泊まったものだ。ちなみに、TOPLICEには1999年に春、夏の2回宿泊した。そして、今回は、安宿の定番のドミトリーの宿に泊まった。10ユーロの宿。金額で見れば、私は高いと思ったがこれは、時代の流れでいたし方のないことだった。

宿には、イギリス人(女)、日本人(女)、ポルトガル人(女)、アメリカ人(女)、チリ人(男)X2などなど。チリ人の男がポルトガルの女の子にほれてしまったが、ポル人の女の子は残念なことに興味がなかったようだった。
そこに、オーストラリア人(女)が来た。19歳。若い。

このメンバーにアメリカ人(女)がセルビア人(男)をつれてきた。みなで散歩に出かけた。意外とこのセルビア人地の利を生かせない。私の方が知っていた。なんだか面倒な面子だった。やはり一人が楽なようだ。

そんな中、オーストラリア人(女)がアメリカ人(男)を紹介してきた。
「空爆してから少しして、ブルガリアから国境を越えてアメリカのパスポートを見せ付けて国境越えをしたんだ。」
と、自慢していた。
私は面倒だったのだけれども、彼女がすごい、と目をきらきらさせているのを見て、よくわからない負けず嫌いがでてしまった。
「よかったね。ここがセルビアで。この人らはヨーロッパの中でも、信じられないほど旅人をもてなすすべを知っている国だからね。他の国ではそうはいかないよ。そもそも、セルビアはヨーロッパで一番最初にナイフとフォークを使った国だから、他の国よりもマナーも先に身についていたしね。」
私はアメリカ人がどうも苦手だ。相手が寛大なことに気が付かず、自分がこんなことをした、ということを自慢するのはどうだろうか、と思ってしまったのだ。

アメリカ人が少し嘲るようにして私に話しかけてきた。
「君は、セルビアのことをよく知っているの?」
「あなたよりは知っていると思うよ。空爆直前と空爆直後にユーゴスラビアにいたし、空爆直後のデモにも参加したからね。そのころとお札も変わってしまったし、当時あった闇両替も、英語の通じにくいベオグラードも今ではいい思い出だよ。」
アメリカ人、オーストラリア人は目の色を変えていた。
「仕事は何をしているの?ジャーナリスト?」
「ただの旅人さ。」
言ってみたかったことだ。

その後、オーストラリアの女の子は私についてきた。理由はそれだけではなかった。
彼女は寒いベオグラードにあろうことか、手袋も薄手のもの、キャッシュカードも利用できず、現金が尽きようとしていたため、私が面倒を見ていたのだ。歩いているときは、私が手を温め、現金も私があとで返してくれればいいと言って支払っていた。旅は道連れ世は情けなのだ。

そのためか、私が食事に行くというと、彼女は一人ついてくるようになっていた。ノビ・ベオグラードのストゥーデントスキーグラッドの船上パーティにセルビア人カップルに誘われたときも、二人で一緒に行った。
とにかく3日間しか一緒にいなかったのだが、なにかと彼女は私の横にいた。

最終日の夜、ワインに酔っていた。彼女と二人でソファーに座って、みなと話しをしていた。
私は両腕をソファーにかけて座ることがよくあり、ちょうど彼女の肩に左腕をかけていた。彼女も嫌なそぶりもなかったのだが、そのうち手の位置を動かそうとしていることに気が付いた。なんだろうと思った。やわらかいものが触れていたのは気が付いていたが、それが彼女の胸だと気が付くのが遅かった。なんだ、と軽くつかんでしまったのがいけなかった。肩をいかるようにしてのけられた。ふられました。たぶん。

その翌日、夕飯に彼女と二人でワインを1本あけました。アドレスも交換しました。
「パースに来たときには連絡を頂戴。」
「了解。もしオーストラリアに行くときは、パースに行くよ。」

女の子を落とそうとか思っていたわけでもなかったのですが、なんか最後に印象に悪いことをしたのが、いまだに悔やまれます。
ただ、あの感触は・・・

私は紳士でいたかったのに、ちょうど手のひらにそれがあっただけだったのです。あんなことでもなければ、もむこともなかった・・・

わたくしとしたことが。
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by mir2004jp | 2009-03-23 23:15 | Europe

39.ドミトリーの人(アメリカ・アトランタ、フランス・マルセイユ、イギリス・ロンドン等)

人のことや何かを悪くいうのはよいことではない。
しかしながら、マナーの悪さや、他の人への思いやりとか、そういうものがあるといいものだと思うことがある。

かれこれ、私も多くの国々を旅してきたが、これは困ったというドミトリーをあげてみようと思う。
もちろん、その私の感じたことが、その国のことを否定するわけではない。ただ、あまり快くないものだったというだけだ。

1.アメリカ(アトランタのYH)
アトランタのYH。受付の横にはプール(ビリヤード)があり、なかなか面白そうな雰囲気。外にはディスコダイナーまであるものの、私の興味の範疇では、これといったものがあるわけでもない場所。長居はできそうもない。
宿泊したのは4月のこと。まだアトランタは夜涼しい。私の部屋はドミトリー。ただし、他に同じ部屋の人がいないため、占有していた。風があり、涼しい夜は窓をしめて寝るものだ。風邪をひく可能性があるからだ。
突然、夜12時を回ったころに人が入ってきた。しかも、2人くらいで話ながらだ。もしや、同じ部屋にまた2人くらいチェックインしたのかと思った。窓を開けてテラスに出て行った。閉めていかなかった。気が付かず、そのままにしていたが、しばらくして寒さで、窓が空いていることに気が付いた。
窓を閉めて、しばらく眠っていた。また、窓を開ける音。さっきと同じやつらだった。あきれてものも言えない。ドミトリーは部屋をあてがわれた人以外が入ると、泥棒と思われても仕方ないため、勝手に出入りはないものだ。ドアの鍵を閉められない以上、仕方ない。シーツをかぶって眠った。寝袋をもってくればよかった。そう後悔した。おかげで、風邪を引いてしまった。
設備だけいっぱしで、泊まる人の質が悪い宿だった。ちなみに、どうしようもないマナー知らずの人らは、アメリカ人。受付に居たときに聞いた。納得した。

2.フランス(マルセイユのYH)
マルセイユはいい町だった。海の見えるこの町は少し高いところに駅があったように記憶している。駅の坂を降りるとブイヤベースのよいにおいがした。港へ向かう途中にはカルーセル(回転木馬)のある広場(公園)や、おしゃれな店がならび、飽きない。
宿泊した宿は、海外の学校のような雰囲気の場所。駅からの距離が遠いのが少し難。
私の部屋には誰もいなかった。ドミトリーを一人で利用できる。これは、得した気分になれるのだ。
外を歩き回って、翌日には出かけられる状態にしていた。夜はとっとと寝た。
朝、4人部屋は満員だった。私は夜、人の気配を感じてはいたものの、どうしても、視界にはだれも入らなかったため、不思議に思っていた。朝、原因がわかった。全員、黒人。わかるはずもない。
ここでおかしいと思った。あきらかに、私をそこに押し込んだ感があった。被害妄想といわれればそれまでだが、白人は、東洋人ならいいやとしたように思えた。マルセイユは黒人、マグレブがいるが、どうも意図的と思えた。そのころの私は、まだ黒人になれていなかったため、すごくやりにくかった。

3.イングランド(ロンドンのYH)
聞きしに勝るひどい宿。
朝食つきとは食パンにジャムを配給されるもの。
シャワー、トイレ完備は、セキュリティのかけらもない箱の羅列。
ドミトリーのベッドはとりあえず、作ったみたという感じ。
当時の私には、なぜ、他の国より金額の高いドミトリーでこの質なのかと、あきれた記憶がある。しかも、私と同じ部屋のチリチリパーマ君は、よる7時で消灯。どこまで身勝手なんだろうか。
運が悪いというのはこういうことをいうのだろう。

ちなみに、上記の国々でいいホテルにあたったのは、フランスのパリのみ。しかも、そのパリのホテルは摘発されて消えた。
私はどうも上記の国々ではひきが悪いようだ。
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by mir2004jp | 2009-03-22 08:27 | Europe

26.品川からサンクトペテルブルクへ①(旅日記風)

2000年夏。少し時間があった。
一年前にアジア横断をしていた私が心残りにしていたもの、それは、シベリア鉄道でのユーラシア横断。
ただし、ちょっと他の人とは違うことをしたい。
私は、みなと同じはつまらない。
いや、正確にいうと、みなと同じであってはならない。
この思いがずっと積み上げられて、私は行動した。

決断した内容は、青春18切符での品川からロシア・サンクトペテルブルクへの列車の旅。

「切符は買ってからの乗車が望ましい。」

重苦しい空気とは裏腹に気分の方は上々だった。この旅のスタート地点は今までとは違い、自宅からとなったからである。この認識は一日をかけて出国の地に向かうという意味で、以前の空港からひとっ飛びとは明らかに異なるからだ。夜の10時に家を出、JR品川駅にて臨時の大垣線に乗らなければならなかった。

品川駅は驚くべきほどの旅好き、あるいは、金を使わないちょっとした青春をたのしむ学生たちの群れを包み込んでいた。もちろん私も、その一人にほかならない。
いつもどおり、一人旅。暇を持て余していると、気になる人たちを見かけた。並んだ列で困っている風の女子大生5人組み。、
「十八切符買えなかったんです。」
事情は、簡単で、夜の駅で切符を購入しようとしたところ、みどりの窓口が閉まっていたとのことだった。ただ、もう一人来る友達が買ってくるとのことだった。はじめて、十八切符を使うらしく切符の形態も知らなかったらしく、説明しながら見せるとみな興味津々だった。

列車に乗ってみるとやはり席は埋まってしまっていて、ひとりものの私は座れても、6人の女子大生は座れるはずもなく、入り口の通路の新聞を敷き名古屋に向かうことになった。彼女たちの行き先は、友人の実家がある名古屋からの中央線沿線の駅だった。

私は、十八切符がなくてもなんとかなる方法を伝授するために、ちょっと話をしにいった。行き先が以前行ったことのある場所であったため、容易いことだと判断できた。彼女たちが今度は、私に質問してきた。
「おにいさんは、どこに行くんですか?」
どういうわけだか、おにいさんと呼ばれてしまったことに、驚きつつも答えた。
「サンクトペテルブルグ」
 「すごーい。」
隣に座っていた女の子が言った。
もう一人の女の子は顔をしかめていた。
「へっ?」
しまったと思った。また他の女の子が、感嘆した友達に質問た。
「それって、どこ?」
だれも、答えられる人がいなかった。やはりだった。調子にのってしまった。ほんの些細な笑える話のつもりが、そうでもないことに気が付いたのが少々遅かった。
「ロシアの都市で、モスクワよりもっと向こうにあるんだけど、すごく美しい都市のひとつと言われているんだ。昔からどうしても行きたかったから。」
「男の人はいいよね。ひとりで、行けるし…」
たしかに、そのとおりかもしれない。そうおもいつつ、列車内が混んできてしまい座席に戻らざるをえなくなった。そこで、必死に眠る努力をしながら、いくつかの駅を通り越していた。
私の横の通路には大学生の男2人が眠い目をこすっていた。疲れていたみたいだった。
「席を譲りましょうか?」
問い掛けてみるも、その必要もなかったらしく、話相手になってもらえた。私はなかなか眠れないため、非常に助かった。
ある程度、通路が空いたのを見計らい、品川で知り合った女子大生の様子を見に行くと、防空壕に避難をしている女性のようだった。一人は確実に、消耗していた。その子をとりあえず、私の席で眠らせ、私と大学生の男の子とで、入り口の防空壕生活に加わった。

神戸の三宮についたのは午前10時頃だった。あとは、ポートターミナルに行き、燕京号に乗り込むだけだった。近くのダイエーで少々買い込んで、旅に備えた。このとき、まだ旅がはじまるという実感はなかった。いつも通りのゆっくりとした出足だった。
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by mir2004jp | 2009-03-20 23:48 | Russia etc

実はちょっとてこずっています。

旅日記をかくぞ!
と誓ったのですが、過去の文章と照らし合わせをしていたら、今と書き方が違いすぎて少し戸惑いがあります。

昔、主観的。象徴的。感情の昂りが感じられる。意外と本能的。
今、客観的。現実的。適当に無感情。理性的。

なにが起きたのか?

私はたかだか10年の歳月で人として変わってしまったのだろうか?

なんだか、こうも極端だと、書きにくい。
少し対策を練ります。
その間、アフリカ、南米の話が多くなりそうですがゆるしてください。
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by mir2004jp | 2009-03-10 23:58 | What I think about

韓国 焼肉パーティ

韓国の新村でとにかくよく食べました。
ご飯などたべません。
肉、肉、肉。

7500ウォンで食い放題。
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韓国の旅は結局これだけのために行ったようなもの。
そして、私は帰国したのでした。
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by mir2004jp | 2009-03-03 22:21 | Asia

久々の苦痛に感情が鈍る

久々に会社で具合の悪さに限界を感じ、考えられない頭で決断をしました。

「帰る!」

明日は、朝から大事な会議があるだけに、今日は無理ができないという判断をしました。

しかし、今日やりたかった仕事が、、、

それにしても、吐き気がひどい。おなかがぐるぐるしている。
私はどうしたのだろうか?

帰国後から決して体調がよいとは言えない。
先週の金曜日に本当に気持ちが悪かったのに、酔いどれの友とのやけっぱちの酒が見事に響いている。

「百年の孤独」

つまらない作品。おいしい酒。涙をさそう詩。
そこにあるのは今はほしくない幻想。

そして、また覚める夢への道標を思う。
あぁ、もう一眠り。。。
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by mir2004jp | 2009-03-03 16:17 | What I think about

スイスを西日暮里で

スイスには行ったことないですが。

本日、西日暮里のシャレースイスミニに行って、スイスを楽しんできました。

ここは、子供たちが遊べる庭があり、うさぎちゃんもいるのでとっても気に入りました。

1階はレストラン。
2階は学校。

2階でスイスの写真の本をずっと読んでいました。
オーナーが気さくでとても好感をもてる場所でした。

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その後は、上野動物園。なぜか、よく行きます。
動物園はいつも発見があります。

帰りには皇后美智子様をお見かけしてとってもいい一日。
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by mir2004jp | 2009-03-01 23:40 | Japan