とりあえずどこかに
2014-03-05T15:23:25+09:00
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ただいまTokyo
Excite Blog
国立オペラで
http://mir2004jp.exblog.jp/13329286/
2011-08-20T22:58:13+09:00
2011-08-20T22:58:16+09:00
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Europe
1月31日(月)、ウィーン最後の夜に国立オペラに行きました。
観た作品は、Giacomo Puccini(ジャコモ・プッチーニ)の「La Bohème(ラ・ボエーム)」です。
妻とは、以前、このオペラをベースとした「RENT」というミュージカルを観ていたため、話の筋は大体わかっていました。私は、時差の関係もあり、少し眠ってしまいました。この作品には、日本人の方も出ていました。海外で活躍する日本人を見かけるということに不思議なものを感じました。
ところで、私は、オペラにはジーンズで行きました。荷物はまだ戻ってきていなかったので。
ちなみに妻は、H&Mでワンピースを買っていたので、私だけ正装から程遠かったのでした。
それでも、一応、Yシャツで行きましたけど。
10年前に来たときと同じでした。
いずれにせよ、周りはしっかりした服装だったので、少し浮いた気がしました。
写真は、オペラ座に入る前にトラム乗り場から撮りました。
オペラ座の中の様子です。入り口入ったところです。
今シーズンのスターツオーパーの緞帳です。
アメリカ出身の抽象画家Cy Twomblyの「Bacchus」という作品ということのようです。
後ろの立ち見の席です。ここは、300円くらいでオペラが観れる場所です。
次の日の朝、国立オペラの前を通りましたのでパチリととりました。
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ザッハートルテ
http://mir2004jp.exblog.jp/12299177/
2011-03-20T22:11:50+09:00
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Europe
国立オペラの裏側にあるホテルザッハーにあるカフェザッハーの中で食べられる。
金額は、4.5Euro。
一流のホテルのカフェで食べられる金額としてはそれほど高くない金額と思われる。
ザッハートルテに、メランジェ3.5Euroをつけていただいた。
ザッハートルテには、生クリームがついていました。糖類が含まれているわけではないため、
ふわっとした味に感じます。ザッハートルテは、杏の味がするおいしいチョコレートケーキ。
実は、日本でも、ウィーン行きを決めた後に、事前学習として、銀座三越で買って食べていた。
本場のザッハートルテは、その場の雰囲気もあったのかもしれないですが、チョコレートの味が濃く、おいしかった。
私は、ケーキといえば、ティラミスが好きで、そればかり食べているのだが、今度は、ザッハートルテもその選択肢に入れようと思っている。
次は、国立オペラの予定。
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ウィーンでの2日目(ホフブルク、フンダートバッサーハウスへ)
http://mir2004jp.exblog.jp/12224797/
2011-03-05T18:59:36+09:00
2011-03-05T18:59:37+09:00
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mir2004jp
Europe
服装は前の日と同じ格好。しかも、寒い。
2日目の観光が始まりました。前日から観光をしていたのですが、気持ちは、届かなかったスーツケースに向いていました。この日は観光の間に服を買いにいく予定です。
朝9時過ぎにホフブルクでの観光。1時間ちょっと、オーディオガイドを利用して観ました。
銀器がひたすら並び、観るものを圧倒する。
その後、芸術家フンダートバッサーのデザインした建築物を観に行きました。
渦巻きの絵で有名なフンダートバッサーの家はとても住めるような雰囲気はないのですが、この家には人が住んでいて、下にあるカフェくらいまでしか入れません。入りませんでしたけど。
そこから少し歩いた場所に、クンストハウスという、これまたフンダートバッサーがデザインした家があります。こちらは、以前来たときに、入りましたが、フンダートバッサーの絵がたくさん展示されています。そこから、トラム、メトロと乗り継ぎ、シュテファン大聖堂に行きました。
ここは、モーツァルトが結婚式をあげた教会です。地下には墓地(カタコンベ)があります。
このあと、親族、会社へのお土産を買いました。スーツケースも買いました。
この日は、このあとホテル・ザッハー、オペラ座へと行きました。次回写真をアップします。
「ホフブルク(王宮)」
「フンダートバッサーハウス」
「クンストハウス・ヴィエン」
「シュテファン大聖堂」
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美術史博物館へ
http://mir2004jp.exblog.jp/12128294/
2011-02-16T23:02:08+09:00
2011-02-16T23:02:08+09:00
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Europe
今回は残念なことにアンチンボルドの絵がなかったのですが、目当てのブリューゲルの「バベルの塔」がありました。最後に入った部屋にありました。狙い通り最後に観に行ったのですが、やはりこの絵は好きです。構成もそうですが、人々の動きでブリューゲルの良さも出ています。
「バベルの塔」という作品を見て思うのは、このテーマの絵を描いている人はほとんどいないということです。聖書のテーマでは、大体、人がメインとなるだけに、この絵の存在意味はあると思っています。創造力において、建築技術なども加味されるということから、画家の力量以上のものを要求されるように思うためです。
ちなみに、美術史博物館の場所は自然史博物館と対でホフブルク(王宮)の前にあります。
美術史博物館
美術史博物館の踊り場からアーチを見た様子
ブリューゲルの「バベルの塔」
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ウィーンではやはりシュニッツェル
http://mir2004jp.exblog.jp/12083845/
2011-02-09T22:25:00+09:00
2011-02-09T23:54:08+09:00
2011-02-09T22:25:21+09:00
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Europe
食事はCafe Morzartでした。
お店は混んでいたのですが、少しの待ち時間で席に座れました。
ただ、なかなかメニューをもらえず、やきもきしていたのですが、オーダーをするとあっという間に飲み物もでてきました。出てきたシュニッツェルも大きかったです。
仔牛のシュニッツェルもナイフですぐに切れるほどのやわらかさでした。
妻が頼んだグラーシュもとてもお肉が柔らかくておいしかったです。
レモネード、レモンスカッシュとチップをあわせて45ユーロのランチでした。(高い!)
シュニッツェル
グラーシュ
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ウィーンの空港で
http://mir2004jp.exblog.jp/12066357/
2011-02-07T00:07:48+09:00
2011-02-07T00:07:48+09:00
2011-02-07T00:07:48+09:00
mir2004jp
Europe
そう、今回の旅行は、ツアーでした。代理店に飛行機とホテルの予約をしてもらいツアーでした。初めての体験でしたが、今回は、本当に助かりました。
それにしても、イギリス・ロンドンのヒースロー空港の夜は寒かったです。なにしろ、到着ロビーだったため、外へはすぐ出られる場所なのです。
朝、5時ころに起き(ほとんど寝ていない)、空港のカフェでおいしいスープをいただこうとしたものの、残念なことにカフェにはまだスープの準備がないということでしたので、しかたなく、コーヒーを頼み、暖を取りました。5時台には出国をし、免税店を眺め、いざ、ウィーン行きのボーディングへ。おかげさまで問題なく乗れました。外に見える、朝日がまぶしくって、うれしくって、まもなく、目的地のウィーン。ただ、この飛行機、赤字ルートのようでした。ほとんど人が乗っていませんでした。朝早かったからでしょうか?
到着してから驚いたことが起きました。
荷物が出てこない!!
しかたなく、係りの窓口に荷物の確認をお願いするも、残念なことに、今回の便では着ていないとのこと。それはそうだろう。一本逃しているのだから、前の便できているはずだ。しかし、どこにも抑えていないのか、見つからない。しかたなく、宿泊先を伝えて、見つかり次第、送ってもらえるように、お願いをした。
着のみ着のままで町にでることになったため、本来はホテルに寄ってからシェーンブルン宮殿に行く予定だったものを、そのまま直で向かうことに。
外は、氷点下。本当に寒かったです。
建物の中に入っているときだけが、一番幸せでした。それにしても、今日、荷物が見つからなければ、明日以降の服が心配です。しかも、服を入れる、お土産を入れるスーツケースがないのです。
困ったものです。
写真はシェーンブルンです。]]>
新婚旅行-ウィーン、プラハ
http://mir2004jp.exblog.jp/12059974/
2011-02-05T23:40:00+09:00
2011-02-07T00:11:14+09:00
2011-02-05T23:40:25+09:00
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Europe
行き先は、私が好きなオーストリアのウィーンとチェコのプラハでした。
行き先が、オーストリアのウィーン、チェコのプラハである中欧に決定した経緯は、私が「どこでもよい」といっており、妻が、「新婚旅行はヨーロッパがよい。」と言っていたためです。
付近の日付は仕事が忙しかったため、ほとんど前週の日曜日と出発の前日の金曜日夜間に準備をしまいた。
航空会社はBA(ブリティッシュエラーウェイズ)でした。往復でロンドンのヒースロー経由でした。
今回の予定は、1月29日(土)の朝11時10分成田出発の、1月29日(土)22時30分にオーストリアのウィーンに着、帰国は、2月4日(金)朝8時45分プラハ発、2月5日(土)9時10分成田着の予定でした。
しかしながら、ボーディングパスの読み間違いにより、ロンドン・ヒースローからオーストリア・ウィーン行きの18時55分発の飛行機を逃してしまいました。ボーディングパスには18時35分にゲートクローズと書いてありましたが、私たちは、ゲートオープンだと思い込んでいました。
ゲートに着いたときには18時42分だったため、「ゲートクローズ!」と言われ、「翌日の朝の便でウィーンに行くように」と言うことになってしまいました。翌日の朝の便は、変更することが可能でした。罰金も発生しませんでした。荷物についても、ウィーンで引き取れるということでした。翌日の便は、朝の6時45分発であるため、6時25分にゲートクローズ。新婚旅行初夜は、ヒースロー空港に一泊することとなりました。
夫婦して相当アホでした。
本来ならば、イギリスに入国する必要がなかったのですが、夜中の23時ころに、一回入国することになり、到着ロビーで一泊することになりました。出発ロビーには、休憩できる場所がなかったためです。
この波乱の出だしから、トラブルが始まりました。]]>
10.雪を投げてくるスナイパー(ボスニア)
http://mir2004jp.exblog.jp/10552298/
2010-05-05T13:15:00+09:00
2014-03-05T15:23:25+09:00
2010-05-05T13:15:20+09:00
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Europe
私は好きになれない国だ。
はじめて訪れたのは1999年2月の寒い日。
ユーゴのベオグラードから雪が積もる山間を抜けてたどり着いたサラィエヴォの町はあまりにも負の空気が漂っていて、陰気だった。「Don't Forget」の文字があちこちで刻まれ不穏な町だった。町では、何をしたのか記憶に残っていないが、郵便局に行ったことくらいしか覚えていない。
2度目は、2005年1月の寒い日。
クロアチアのスプリットからドゥブロブニクへ向かう際に立ち寄ったモスタルの町。かの有名な橋(ネレトバ川にかかる橋)がある町だ。
ボスニアでよく見るタバコ屋さん(コンビニのようなもの)
有名な橋(スターリ・モスト)]]>
旅の話のコンテンツ
http://mir2004jp.exblog.jp/6643872/
2010-05-05T13:00:27+09:00
2010-05-05T13:00:26+09:00
2008-01-05T23:43:46+09:00
mir2004jp
What I think about
2.マサラ日本食(インド)
3.インド映画(インド)
4.ゴスペルバス(ナイジェリア)
5.夫婦の契り(ギニア)
6.イスラム教徒への道
7.イスラム名(モロッコ、トルコ)
8.死体に近い場所(インド・ガンガー)
9.山越え国境越え(ボスニア)
10.雪を投げてくるスナイパー(ボスニア)
11.ゲイ温泉(ハンガリー)
12.計算方法(海外)
13.偽のエンゲージリング(タイ・スイス人)
14.世界にひとつだけの花(メヒコ)
15.ベサメ・ムーチョ(メヒコ)
16.麻雀の夜(海外)
17.シェア飯(海外)
18.海鮮祭り(チリ)
19.鯛、マグロ祭り(チリ・イースター)
20.インターネット(海外)
21.カシミールへのゲロと崖(パキスタン)
22.酔っ払いの国境越え(インド、パキスタン)
23.違法入国者(トルコ、ギリシャ・中国人)
24.インド鉄道の夜
25.マレー鉄道脱線の旅
26.品川からサンクトペテルブルクへ
27.白い糞(モンゴル)
28.三つ目がとおる(中国)
29、めいよー票(中国)
30.ドラガンの道(ユーゴスラヴィア)
31.女の交換(ユーゴスラヴィア)
32.乳もんでふられる?(ユーゴスラヴィア)
33.セルビアの女(ユーゴスラヴィア)
34.グルマンスカ(ユーゴスラヴィア)
35.プラトーの夜(ユーゴスラヴィア)
36.ジプシーバス(ルーマニア)
37.ぶち壊しのオクトーバーフェスト(ドイツ)
38.のんだくれのワイン祭り(ドイツ・リューデスハイム)
39.ドミトリーの人(アメリカ・アトランタ、フランス・マルセイユ、イギリス・ロンドン等)
40.ドミトリーの男と女(チェコ)
41.アントニーとジョン(ポーランド)
42.バスのない国境越え(チェコ、ポーランド)
43.黒人の下着(ギニアビサオ)
44.割礼された女(ガンビア)
45.あなたをもっと知りたいの(ナイジェリア)
46.真の男は●●●しない(ナイジェリア)
47.あなた、私の電話番号知りたいでしょ(トーゴ)
48.早く乗って(クロアチア)
49.バルセロナにいた女(スペイン・モハの話)
50.ドゴンの野生児(マリ)
51.おまえを殺してやる(ギニア、マリ)
52.おまえは中国人だ(ギニア)
53.大雨で川の字(ギニア)
54.いい道は事故がおきる(ギニア)
55.ゴールデン・ピーコック事件(インド)
56.日本人は小さい(インド)
57.恋するバール・スール(アルゼンチン)
58.君の瞳に恋してる(ブラジル)
59.消火器まみれの朝(エストニア)
60.料理の日々(リトアニア)
61.パレスチナ人と壁(イスラエル)
62.アラブ人とイスラエル人(イスラエル)
63.ヨルダンからシリア
64.死海のヨルダン人
65.ピラミッドと子供たち(エジプト)
66.正直屋とうそつき(エジプト)
67.灼熱のサイクリング(シェムリアップ)
68.銃声の聞こえた夜(プノンペン)
69.モンゴル人の割り込み、中国人の割り込み
70.記念撮影会(イラン)
71.パラサイト(トルコ)
72.青い海へのお値段(ザンジバル)
73.アフガンマジック(パキスタン)
74.ダンス・オン・ピスタチオ(イラン)
75.私は日本語勉強しています。(トルコ)
76.調子こいて帰国(レバノン)
77.杉原千畝(リトアニア、イスラエル)
78.ほっぺにチュ(ロシア)
79.タランカとウォッカ(ロシア)
80.眠れない夜(ロシア)
81.ジルベスター(ドイツ)
82.気になるけど(ギリシャ)
83.たばことぬいぐるみ(イギリス)
84.アイリッシュ音楽(アイルランド)
85.マチュピチュへ(ペルー)
86.ウユニの災難(ボリビア)
87.灼熱のバス(スーダン)
88.人のよい国(スーダン)
89.賄賂天国(ナイジェリア)
90.南京虫とダニと(エチオピア)
91.売春婦たち(エチオピア)
92.悪霊のバス(エチオピア)
93.人間とは思えない人々(エチオピア)
94.人身売買(タイ、カンボジア)
95.前から後ろから(グアテマラ)
96.友人の死、知人の死
97.止まらない下痢(ケニア)
98.暴動(ケニア)
99.それではお元気で(ケニア)
100.腐った食事(マダガスカル)
101.防衛庁の人(マダガスカル)
102.偽チケット(タンザニア)
103.コリアン・ガール(ザンビア)
104.ATMの場所をきかれて(ウガンダ)
105.さすらい蟻の襲撃(ウガンダ)
106.ミイラとにおい(ルワンダ)
107.インフレの国(ジンバブエ)
108.ロング・ストリート(南アフリカ)
109.オセロ(南アフリカ)
110.砂漠の死の世界(ナミビア)
111.チモイオのイギリス人(モザンビーク)
112.本数のないバス(タンザニア)
113.キリマンジャロ(タンザニア)
114.追突事故と小便(マリ)
115.つりをくれない女たち(ガーナ)
116.ウィッグとエクステ(アフリカ全般)
117.アフリカ人
118.角刈りのお嬢
119.ローリーでの移動(スーダン)
120.ローリーでの移動(ケニア)
121.ただ泣きたくなる(アフリカ)
122.南極の日々
123.アルファフォーレス(アルゼンチン)
124.マラクジャ(ペルー、ブラジル)
125.食卓の準備(ブラジル)
126.カーニバル(ブラジル)
127.ゲイの家にホームステイ(キューバ)
128.ひげの生えた女(インド、キューバ)
129.停電都市にしてアジア人拒否(ギニアビサウ)
130.36.5度の体で(ギニアビサウ)
131.全身陰毛(アフリカ)
132.ハノイ襲撃事件(ベトナム)
133.孤独な旅のすすめ(西アフリカ)
134.イラストレータとのバレンタインデー(チェコ)
135.ジプシー音楽
136.タンゴの調べ
137.ダンシング・オン・ザ・フロアー(ハンガリー)]]>
133.孤独な旅のすすめ(西アフリカ)
http://mir2004jp.exblog.jp/8141820/
2010-05-05T12:59:00+09:00
2010-05-05T13:00:47+09:00
2009-04-05T14:14:43+09:00
mir2004jp
Africa
孤独と向き合うことを繰り返し、孤独に強くなろうとした。
それが本当なのかを確認することができるのは、匿名性の中に埋没できる日本での生活なのか、それとも、誰も私を知らない地に降り立つことなのだろうか。
西アフリカに入る前、私を奮い立たせたものは、困ったときに逃げられないという現実を得たいという気持ちとそこを乗り越えたいという気持ちだった。その理由は、日本人の旅人にとって、西アフリカが圧倒的に旅がしにくいためだった。
1.フランス語が主流
2.インフラがひどい(フランスの植民地支配のせい)
3.情報がない(ガイドブックがひどい。日本にいたっては存在が古い「旅行人ノート」のみ)
4.旅行者が少ない(日本人はほとんどみない)
5.暴動や事件が多い
6.マラリア等の病気の情報が多い
7.賄賂が多い
悪い条件は挙げればきりがない。コンゴやザイールといったところほど、死への距離は近くないにしても決して楽な場所ではない。
そんな中、宿泊代もかなりかかるとい現実が控えている。
フランスの支配下にあったためなのか、どこもツインかダブルの部屋しかなかった。でも、こちとら一人身の旅行者。旅はしにくい。
移動についても、ブッシュタクシーという乗り合いタクシーが主流であり、乗り心地はすこぶる悪い。
こんなところになぜ行くのか?
ただ、旅行者としての意地でしかなかったように思う。みなが行けない場所に行ってみたい。そしてそこにある人々の生活や文化を体感してみたい。ただこれだけのことが私を突き動かしていたように思う。
食べ物は、ジョロフライスと茹ですぎたパスタのミートソース、チェブジェン(レッドライス)、ヤッサ(レモンシロップで炒めたたまねぎと肉のぶっかけご飯)、マッフェ(ピーナッツカレー)、リ・ソース(マギーソースかけご飯、ジョロフライスと同じようなもの)といったところが地域によってローテーション化される。日本でもマッフェを食べたことがあるが、現地より味が薄かった。他は、日本では未食。おいしかったのは、ヤッサ。他のは、誰でも作れそうな市販のソースをもとに作られたものだったように思う。食は意外と耐えられた。
ぶっかけご飯(名前を覚えていない。)
リ・ソース
チェブ・ジェン
西アフリカはなにかとても興味深いものがあるかというとそういうものがあるわけではなかったのだが、ふと過去を振り返るのにはとてもよい場所だったように思う。
おかげで、旅行中の地図や物価をまとめるといったことや、日記の見直しができた。
不思議なもので、それから4年の歳月を経てもなお、あのころの日々を思い出す。]]>
ウユニ塩湖の写真
http://mir2004jp.exblog.jp/10337349/
2010-04-03T18:06:00+09:00
2010-04-03T18:50:45+09:00
2010-04-03T18:06:39+09:00
mir2004jp
America
ボリビアに到着した初日に夜行バスに乗ってやってきたウユニでした。
バスで入ったウユニの町はやはり小さくすぐに自分の居場所がわかるものでした。
そして、当時思いもしなかったのに、今回強く感じたのは、イタリアレストランが多いこと。
どこをみてもパスタやピッツァ。不思議な思いで見ました。
早速ツアーの申し込みをしようと、プラヤ・ブランカを探すもつぶれていました。
そこで、BRISAというツアー会社にしました。一部では、塩のホテルは博物館化してしまい宿泊ができないという噂もありましたが、塩のホテルはまだ宿泊できるということでした。しかしながら、やはり高くつきました。一人当たり55USドル。2人で泊まるため、値切れるかと交渉するも、残念ながらゆらぎませんでした。前に来たときは45USドルで泊まれただけに、少し時の流れを感じました。
以前行ったときの様子はリンクではっておきます。
Uyuni Playa Blanca de Salar de Uyuni
今回は、雨が降らず、水が張った状況ではなかったのですが、それでも、景色はなかなかのものでした。出だしの移動時に一部水がはっている場所がありました。
少し前にレアメタルの埋蔵の話があったことを思い出しながら、もうなかなかこの景色は眺められないのだなと思いました。
朝は早く起きて日の出を見ました。5時すぎの起床でした。意外と寒かったです。
ボリビアでは、高山病で苦しんだことと相方のカメラの方が性能がよいことをいいことに写真をほんどとりませでした。
また、写真を近いうちにアップしますが、期待しないでください。]]>
Tokyo 日本にいます。
http://mir2004jp.exblog.jp/10250479/
2010-03-22T18:25:50+09:00
2010-03-22T18:25:53+09:00
2010-03-22T18:25:53+09:00
mir2004jp
What I think about
1月にボリビアに行ってから、ブログの更新が止まっていたため、今まだ南米にいると思われている方がいるようなので、一応、帰国のお知らせです。
ボリビアのウユニ、ラパスを6日間で周って帰国してきました。
私は残念ながら、高山病に苦しめられてしまい、結局、最終日にやっと体調が戻りました。
今回は、宿泊もよいところをとっての旅でしたが、やはりボリビア、外を歩けば、町はやはりきれいとは言えない代物でした。なにも変わっていなかったという印象です。
いずれにせよ、よい旅行だったように思います。
写真はそのうちアップします。]]>
La Paz なにも変わらない。変わったのは私。
http://mir2004jp.exblog.jp/9618711/
2010-01-10T03:30:26+09:00
2010-01-10T03:30:24+09:00
2010-01-10T03:30:24+09:00
mir2004jp
America
5年ぶりです。
約30時間の移動を経てということで少しくたびれました。
しかしながら、空気はあいかわらず、薄いです。
若干、酸欠気味です。
これからの旅程ですが、今日の夜行で、ウユニ塩湖に向かい
ます。
今は、あまり動きたくないので、ネットに退避しています。
また報告します。]]>
ひさしぶりの世界一周
http://mir2004jp.exblog.jp/9217197/
2009-11-08T22:04:59+09:00
2009-11-08T22:04:57+09:00
2009-11-08T22:04:57+09:00
mir2004jp
What I think about
ちょっとした話があり、写真をプリントアウトしています。
あとは、また報告します。
]]>
どうでもいいこと
http://mir2004jp.exblog.jp/9092904/
2009-10-12T17:39:54+09:00
2009-10-12T17:39:53+09:00
2009-10-12T17:39:53+09:00
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Myself
いまだに私には帰着点が見つからない。
悩みはささいなこと。ただ認めたくないこと。
世界は広い、そして、私はちっぽけだ。
私の目に見えるものが、どこまで信じてよいのか、どこまでどうにかできるものなのか。
10年前、苦し紛れに知人に放った言葉。
「何が正しいのか、何をしなければならないのか?
そんなことなんてどうだってよいのだ。
今やれることをやるしかないのだ。
それらのことは無意味なことではなく、結果として意味のあることに変わるのだから。」
結局、自分への言葉であった。
そして、今の私は呪縛から抜けられない。
5年前に前職を辞め、世界を垣間見た。
また同じところに戻っている。いや、正確には答えがさらに複雑なものとなり、賢くもなり愚鈍になった自分を見つめるところとなっている。
少なくとも孤独と向き合う作業が私には必要だった。
結局のところ、他人に頼っていはいても、自分で決めたかったから、自分に納得のいく回答が自分自身で得られる機会と得るための過程が必要だった。
3日間、久々に家の中から出ることもなくさなぎのごとく過ごした。
少しわかったことは、予定調和への恐怖をやわらげる方法は、未来の物語を読み出すことであり、それは、自分もその登場人物となることだった。
あとは、その振る舞いが問われている。
自分の内なる魂が赴く先をさぐる旅はまだ続く。
私は幸せものだ。
時は刻む。私がその中で何をするべきなのかは、私が決めることができる・・・
旅の話はずっと留まっている。10年前に書き始めた旅日記も留まっている。
それらのことについてもけじめはつけるつもり。
ただ、旅日記はまだ私のなかにあって、色褪せることがない。
そう、無意味な旅にはなっていない・・・
待ってくれているひとがいるとしたら、もう少し待ってほしい。。。]]>
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