講談社選書メチエ 知の教科書 ソシュール

何ヶ月ぶりでしょうか。

本を買ってきてしまいました。
フェルディナン・デ・ソシュールの考えをまとめた入門書のような本です。
「講談社選書メチエ 知の教科書 ソシュール」
と題名は書かれております。

以前、友人に「存在とはなんだろうか?」と壁にぶつかり、相談をいたしました。

「言語の要素は関係性によって存在を規定されているのであって、自律的に存在しているのではない。」

ソシュールの言葉を引用して、どう思うか聞いてきました。

ソシュールは言語学の範疇での存在論についてのアプローチをしました。
なるほど、私自身が存在するというのは、誰かが私という存在を規定することによって私がそこに存在するということのようです。

これに関した話は、ロシアの民話にもあります。実は、この話で私の存在への探求が再発してしまったのです。
「エフシナひめ」という作品です。もうかれこれ5年も前に読んだ本なのでしっかりと覚えているわけではないのですが、簡単な話はこうです。

ある国にエフシナ姫がいました。そのエフシナ姫と他の姫たちは仲がよかったのですが、あるとき、エフシナ姫が近くの湖に行ったときから状況が一変するのです。
湖に映ったエフシナ姫ははじめて自分の顔を見るのです。他の姫などとは比較にならないほどの美しさだったのです。湖の主はエフシナ姫の美しさにほれ込んでしまい、エフシナ姫を自分のものにしようとします。エフシナ姫はどういった経緯だったか忘れましたが、世の中のものがすべてなくなることを願い、自分だけが美しい存在であることを願ったのです(間違っていたら、知らせてください。)。すると、エフシナ姫が美しいと言うものはもう湖の主しかいなくなってしまったのでした。

こんなような話でした。友人はそれほど、難しい物語ではないと言ってくれましたが、なんとも腑に落ちない私は、偶然見かけたソシュールの本に手を伸ばしてしまいました。

明日(今日?)からのんびり読んでみたいと思っています。
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by mir2004jp | 2004-09-07 04:25 | Book
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