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差別による存在確認

「海外に行くことが好きなんですか?」
BARのカウンターで隣に座っていた女性に聞かれました。

私の答えは、YESでした。

回答として適切だったのかはわかりませんが、理由を話しました。

海外に出れば確実に差別をされる現場に立つことになります。
ただ、その差別というのはよいもの、悪いものがあるのです。
どちらのケースにも言えることは、間違いなく、自身を異邦人であると認識するということです。
ここでいう異邦人は訪れた国においてのという意味になります。

よい場合は、大抵が、日本から来たということによる喜びの感情や、羨望のまなざしといたものとして表現されるものになります。
悪い場合は、大抵が、アジアからきた黄色い低俗民族や、海外でよろしくない評判を受けている国々の置き換え、あるいは、金持ちで世間知らずという認識によってもたらされる表現になります。

よい場合も、悪い場合もどこでも体験することになります。
そして、その当事者になることは、海外では間違いなく自分自身という存在の確認、国籍を意識する瞬間を目の当たりにするということになるのです。
日本でも差別はあります。それは、他の人との考えや見かけといった違いやら、ただの優越感を得たいがためのものであったりといったものです。

ただ、海外では初期設定でもう他の人たちと違うのです。日本では匿名性を生かすことができたとしても、海外ではそれはできないのです。そして、自分の行動が日本人の行動の投影として理解されてしまうことになるのです。

日本を日本にいるより強く意識してしまうのは、こういったことによることが大きいものと思われます。

ただ、私は差別はあまり好きではありません。ただそれよりも理不尽は嫌いです。また、フェアでないのは嫌いなのです。

日本では言葉が通じるだけに、理不尽やフェアでない部分だけが目立ってしまう気がするのです。なんとも哀しい話です。

今日はこの辺で。
by mir2004jp | 2007-12-27 01:50 | What I think about
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