人気ブログランキング | 話題のタグを見る

長らく停止していたわけ

毎日の営みは至って当たり前のもので、各個人によって千差万別あるのも然り。

私にとってこのブログを書くという行為は、今までにとっては当たり前の日常であったのにもかかわらず、それは、いつだって変化のある日々を投影するものでしかなく、かなり独りよがりなものでした。

昨年の9月の帰国後、信じがたいことに、物事への関心が薄れてきています。
各国で感じていた多くの些細なことは振り返ればいつでも思い出せます。それは、旅行をはじめるようになった10年以上も前のことからです。でも、結局は過去のことなのです。そのため、今のことにおいてどうしても、何かの変化がほしいと感じています。それは、前の会社勤めをしていたときにも感じていました。しかし、その最後に身勝手に感情の揺らぎがでたことを今でも覚えています。だから、私は会社勤めをするいわゆる、一般的平凡な社会人に戻ったのです。

私は心から震えるなにかがほしい、ただ単純に感動というものを得たい、それが原動力として今の私はうまく動けていないのです。

では、その感動とはなんなのでしょう。

旅行の間に、何度か部屋で涙を流しそうなほどの感謝を反芻したこともありました。今の私は余裕がないのかもしれませんが、それ以上に、物事への関心が薄れているのだと思います。

なんとかしなければと考えています。

ここは、旅行の話ばかりのページです。しかも、かなり雑な。

そして、ありえないことに、私が更新をしなくても訪れる方がいまだに毎日2桁は確保されているページです。昔は3桁でしたが、不定期で二ヶ月に1回だとかしか更新されないページに昔のなじみや、新しい方が遊びに来てくれているようです。

そこで、ひとつの取り決めを自分に課すことにしました。

そろそろ何がしかのことをしはじめないと年は越えられないと思った次第です。

何も起こらない毎日と思うことは受動的に毎日を過ごしている証拠、旅行と同じです。
旅行をする理由といえば、それは受動的なことという考えと同じです。

何かを感じ取る努力を毎日に課してみます。
旅行をする目的はと考えるのと同じことです。

まだ小さい出発の狼煙ですが、先にWebページで作成する予定だった旅行のエピソードを毎回完結させなければとおもわず、少しずつ書くことから再開していきます。

ながながと書きましたが、これからもよろしくお願いします。
写真は、私に坊さんにならないかと声をかけられたお寺です。
理由は「あんた、あたまの形がいいし、坊さん不足しているから」でした。
長らく停止していたわけ_a0013001_17352155.jpg

by mir2004jp | 2007-12-23 17:36 | What I think about
<< 差別による存在確認 沖縄~大阪~京都 >>