答えは、アメリカ政府。
アメリカ国民が起こすのではない。アメリカ政府が起こすのである。 今回の中米旅行において、たくさんの内戦、紛争、戦争の話をきいた。それらには、アメリカの介入が非常に多く、引っ掻き回して、「はい、さようなら」なのだ。 サルバドールという映画を思い出させられた。グアテマラのXelaに住む日本人男性の方と話をした。サルバドールの大学にたくさんの写真の資料が残っている。そこには、顔の半分ない人の写真などもあり、撮られた場所は、その校内であることを話されたとのことだった。そして、その時期のことを、リチャード・ボイルの原作によって映画化されたのが、オリバー・ストーンのサルバドールなのである。私にとっても、この映画は印象的だった。自分は国に帰ることができるが、サルバドール人の奥さんは入国拒否に会うのだ。そして、たくさんの人々が、残酷な政府に殺されていくのだ。そして、その残酷な政府はアメリカに支援されているのだ。 ニカラグア侵攻、ベトナム、朝鮮戦争、ユーゴ空爆、アフガン侵攻、イラク侵攻などなど。 彼等はなぜ、他国のことにこれほど干渉し、めちゃめちゃにしてしまうのだろう。どれだけの人々が亡くなったのだろう。彼等のために、どれだけの人々が涙を流したのだろう。亡くなった人々に家族がいることは彼等にはわかっていないのだろうか。 世界はアメリカ政府のために回っているとでも思っているのだろうか。 捕虜虐待に際して、ラムズフェルドの笑顔は信じがたい暴挙である。ニコラス・バーグ氏がイラクに入ったのは間違いであり、私は彼の死は致し方ないと思っているが、彼の死は、ラムズフェルド、ブッシュを含むアメリカ政府の積み重ねによって生み出されたものに他ならない。 かつて、本で読んだことがある。 イギリスのSASは戦争に際して、宿営地でそこの人々の心をつかみ、医療も最後まで面倒をみる。しかも、彼等を守る。しかし、アメリカ兵は、宿営地の人々と付き合うものの、何かあればさっさと去ってしまう。そのため、ベトコンのようなゲリラにも悩まされたということだった。 スタンリー・キューブリックのフル・メタル・ジャケットにおいても、子供、女性が走って逃げる姿を追いかけ、ヘリコプターから対陸への連射砲を撃ちまくる兵は、次の言葉に答える。 「子供や、逃げ惑っている人たちを撃っているじゃないですか?」 「子供のベトコンだ、逃げているベトコンだ。」 撃つ兵は非常に楽しそうだ。 これは、現実なのだろう。 人の死、人の苦しみ、人の悲しみに鈍感になってしまうのは、実際に、血が通っている人間の死というのを感じることができなくなってしまっているせいなのだろう。どうしたら、アメリカ政府に伝えられるのだろう。そして、どうしたら、世界において戦争や、紛争を減らすことができるのだろうか。
by mir2004jp
| 2004-05-17 17:58
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