ドイツ映画っていうと

唐突で申し訳ないが、私はJorg Buttgerreit (ユルグ・ブットゲライト)が一番印象に残っている。彼の映画を見たことはないのだが、今から10年ちょっと前に深夜テレビでエロやらグロの映画を取り上げた企画があり、そこで、紹介されたのが、彼の映画『ネクロマンティック(Nekromantik)』。気になった理由はネクロフィリア(屍体嗜好)。フランツ・ハールマン(この人は子どもを誘拐してその子どもの肉を売っていた肉屋さん。)やら、マルティナ・ティンメルマン(倒錯殺人及び食人)など、多くの不思議な世界をもつ人々を世にだしてきたドイツ。私は、ヒトラーの『わが闘争』同様、発禁になったこの作品は気にならずにはいられない。なのに、探している時は、大抵見つからずで、現在に至っているのだが、先日、ラフカディオ・ハーンの『怪談・奇談』を読んでいるうちに思いだした。そして、昔、The Madisons clubでの紹介で更に読みたくなってしまったことも。直はこちら。
作品の内容は至って簡単(見ていないだけに悔しいのだが、ストーリーだけは知っている。)。ネクロフィリアの主役(主役の彼女もそのネクロフィリアという、絶妙のカップル。)が仕事柄、屍体を盗むことが可能であり、彼女と供に毎晩楽しむ。しかし、失業し、彼女は屍体がないので去る。そして、彼は自殺。かなり奇特な死に方をする。そして、『2』でその屍体を元手にストーリーがはじまる。マルティナの殺人と似ていると思ってしまうのは、風呂場で林檎をにぎらせ(かじらせてだったかも)、性行為に及び、絶頂の中で殺害を行なったという。行為の最中での殺人である。これは、よくある話なのかもしれないが、性行為を行っている間というのは、研究家によると、ちょっとしたエネルギーが発生しているため、霊などが寄ってきやすいなどにも近くはないか、などと思ってしまうのは、私だけだろうか。要は、いつもと違うということ。その後はおって知るべしの、食人、所謂、カニバリスムに走るのは後者のマルティナの場合であるが、こういったお国柄の国であるからして、上記の映画は必然とも言えるのかもしれない。なんにせよ、そういったタブーを映画化することは、非常に大きな賭であり、人間の暗い側面を真正直に受け取めた大した輩だと思ってしまうのは、私だけだろうか。下手な世の中を美化した作品よりも魅力を感じてしまった私は、その後、オシフィエンチム(アウシュビッツ)、ザクセンハウゼン、トゥールスレンなど、人間の性を見にいっている。殺人や倒錯は、いわゆる普通の生活をしている人たちにとっては不道徳であり、人間性の欠如などとされがちであり、太宰治の『人間失格(英訳だとNo longer human)←もはや人間ではない?』の世界なのだろう。ただ、それらは、人々を魅了する。それは、人間の本能なのではないかと思う。かつて、シャーマンが動物を殺害し、食すことによって、その霊力を内に取り込むという行為もあったことからも、アミニズムといった側面がこのカニバリズムにも見いだせると思う。しかも、人を虐殺といた行為は、己の生存本能に見いだせる。ただし、後者は、図々しいくらいに大衆の中の匿名性を利用したえげつないものであることが多い気がしているが。

だいぶ話がそれてきたが、大衆性と本能という側面では、これまたドイツの映画に『es』なるものがある。『ラン・ローラ・ラン』に出ていた俳優が主役。警察役と囚人役を割当てた実験(アメリカ)を映画化したもの。アイヒマン実験などもアメリカは試しているが、どれも、人間の残虐性を目覚めさせるきっかけになっている。

ドイツ映画は、私の中では、『Halte Jungs』や、『Sex up』などに見られるようなエロ、オマヌケ映画か、グロが定説であったのだが、下手なハリウッドより面白い。人間的。

くだらないことだが、先日のホテル・ルワンダ、マールブルク熱のアンゴラ、CNNのスーダン特報から私は妙に疲れている。
なので、今日はこの辺で。
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by mir2004jp | 2005-04-14 20:58 | Film
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